第3回対馬移動記(2009年5月)

九州の北方に位置し、九州よりも韓国に近いという長崎県対馬。
昔からこの対馬に魅力を感じ、アマチュア無線では1988年6月1996年5月の2回の移動運用を行った。しかし、1996年の第2回対馬移動から2ヶ月後にCBを始めたため、いつかは対馬からCBを運用したいと思いながらも時は過ぎ、気付けば21世紀に突入していた。
「今年こそはまた対馬に行くぞ!日程は5月3日〜5日!」と決めたのが2009年の正月。今回のメインはCB運用と決めたものの、ゴールデンウィーク初旬のEsはまだまだ不安定である。CBだけ持って行ってもEsがオープンしなければひたすら声が嗄れるまでCQを出し続けることになるかもしれない。そんなに咽は強くないし体力も無い。だからアマチュア無線の設備としてFT-817NDと7MHz/10MHz/14MHz用VCHアンテナ(釣り竿センターローディング型アンテナ)、そして50MHz/29MHz用DPも用意することにした。
無線機だけでなくアンテナやらバッテリーやらパドルやらマイクやら・・・それにしてもアマチュア無線の移動運用は機材がどうしても多くなる。それに引き換えCBはトランシーバー一台とせいぜい予備電池くらいでOKである。しかもたったそれだけで数百Kmにも及ぶスリリングな交信を楽しめるのだ。機材の準備をしながらつくづくそう思った。

■5月3日 対馬上陸

前日の早朝に出発し電車で西に向かう。そして大阪からは夜行高速バス、博多からフェリーと乗り継ぎ、ようやく対馬にたどり着いた。
13年ぶりの対馬は大きく様変わりし、記憶の中にあるフェリー乗り場周辺の風景とは大きく変わっていた。
バスの時間を待ちながら、港で2mでCQを出すと現地のハムの方からコールあり。移動運用に来て、現在バス待ちである事を告げると、移動予定地である上見坂公園(標高385m)までクルマで乗せて行って下さるとのこと!
前回、前々回に引き続き、対馬の方の優しさに深く感謝した。
16時過ぎに無事に上見坂公園に到着。早速展望台に上りCBのアンテナを伸ばし各チャンネルをワッチしてみるが、聞こえるのはノイズのみ。5chにはハングルの交信が聞こえている。さすが対馬。普通にハングルが聞こえるとは。
何度かCQを出してみるが空振りに終わる。
暗くなる前にアマチュア無線のアンテナを設営しFT-817NDをセッティング、そして傍らにはSKとなった故JR0JMS局の写真が入った露組ねっとの佐渡移動の時のQSLカードを置き、JMSと一緒に運用した。

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JR0JMSとは同い年であり、無線の友達としては一番仲が良かった。
1996年の対馬移動の時も14MHzで呼んできてくれて私の運用を応援してくれた。
そしてその4年後の2000年に突然他界した。
心筋梗塞とのことだった。
2000年は私が自営業として仕事を始めたばかりで、仕事も忙しかった事もあるが、やはりJMSが居ないのが寂しかったのか、だんだんアクティビティーが落ち、そしてしばらくQRTとなってしまった。
そもそも今回再び対馬まで移動しようと思ったのは、しばらくQRTしていた2005年、夢の中にJR0JMS局が現れ、「おい、じょにぃ(なぜか私は「じょにぃ」と呼ばれていた)、無線やろうぜ!」と言ってきたのだ。それから再び本格的に無線を再開し、そして今回の対馬移動となったのだ。あの時、夢に彼が現れなかったらこうしてまた対馬に来る事はなかっただろうし、ましてや無線の復活すら無かったかもしれないのだ。天国のJMS局に感謝したい。

CBをワッチしながら7MHzで運用。そして21時過ぎからは10MHzで運用を続ける。バッテリー節約のために2.5Wで運用を続ける。
国内局とのQSOが続く中、・ーーーではなく、・ーーと打つ局が聞こえる・・・・・。Wだ!
W7VS、オレゴン州の局が呼んできたのだ。
こちらは2.5WとVCHアンテナ、つまり短縮の釣り竿アンテナである。そんな電波がオレゴンまで飛んでいることに大満足である。

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■5月4日 二日目
今日はとにかく丸一日無線が出来る日だ。一日あれば少しはESも開け、CBでもQSO出来る時があるだろう。そんなことを思いながら展望台に上り、各チャンネルをワッチすると微かに日本語が聞こえてきた。
「おぉ!ついにEs来たか!!!」興奮しながら注意深く聴くとシズオカAC703局だ。今一つコンディションが開けていないようで共にRS31/31のレポート交換となった。対馬からのCBでの1st QSOである。その後しばらくCQを連呼してみるが、またもや空振りに終わる。諦めてアマチュア無線で運用を開始。
やはり10MHzが中心となり、コンディションを見ながら1Wと2.5Wを切り替えて運用を続けた。
午後には50MHz SSBにて沖縄局2局とQSO。しかし6mでの運用は今回はこれだけとなった。
気がつくと、CB帯にやたらと強力なノイズが入るようになった。
ノイズのない場所のはずなのに、なぜだ!?
よく見ると駐車場でラジコンカーで遊ぶ少年たちがいた・・・・・。
結局その後数時間CBはワッチすらままなら無い状態となる。
あきらめて7MHz/10MHz/14MHzで運用を続けるが、結局その日はEsも開ける事はなくCBでの運用は朝のしずおか局のみとなった。

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しかし、ここ上見坂公園はとにかく観光客が多くなった。
しかもそのほとんどが韓国人である。
こんな山の上で釣り竿を縦に立ててピーピーやってる人はどう見ても怪しい。
ほとんどが遠巻きに見ているが、中には韓国語訛りの英語で話しかけ、自分もアマチュア無線をやっているんだということを話してくる韓国人もいた。
正直、迷惑でしかない。
韓国人が集団で来られるととにかくうるさい。
そして必ず展望台に登るので、観光客のいる時は展望台に登れないのだ。
13年前に来た時はこんなんじゃなかった。
大好きだった対馬が大きく変わっており、とても残念でならない。

■5月5日 最終日
疲れており、さらに夜中には鹿の鳴き声でなかなか寝られなかったはずなのだが早朝6時前に起床。
10MHzで早朝のDXでも狙おうかとおもむろにテントの中で10MHzをワッチすると国内局がちらほら聞こえる。空き周波数を見つけてCQを出すと次から次へと呼ばれてしまう。どうやらクラスターにアップされてしまったようだ。しかし何かおかしい?と感じながらパイルを捌く。どうも聞こえ方がEsっぽいのだ。CB聴きたくても聴けない、引っ込みたくても引っ込めない。7時頃ようやく誰も呼んでこなくなった。「QRZ?」などもちろん出さず、2〜3秒聴いてすぐに電源OFF。ICB-87Rを持ってテントから飛び出すと国内大オープンではないか。もっと早く気付いていれば・・・。
観光客が来る前に急いでテントとアンテナを片付け、そしてようやくCB運用開始。えひめCA34/1局を皮切りに関東、東海、近畿各局とQSO。時間を見ればもう9時過ぎ、帰りのバスの時間の関係で11時には撤収しなければならず、後ろ髪を引かれる思いでCBはQRT。そして10時過ぎから10mFMの運用を開始した。
CBでは繋がらなかった0エリア各局とQSOし、対馬に移動していることを告げるとさすがに驚いていた様子だった。
その後は10mFMでお世話になっている各局ともQSOでき、対馬からのご挨拶も完了。
最終的には0、1、2、3、7エリア各局15局ほどとQSO出来たが、コンディションもまだまだ良かったにも関わらず11時には泣く泣くQRTし、そして撤収に入った。

■最後に
期間中ずっとEsが発生していてもいいように予備電池だけはたくさん持って行ったのだが、結局ワンセットだけで済んでしまった。大オープンとなったのは最終日のみでしかもタイムリミット付きというなんとも心残りな運用となった。
しかし離島からのCB運用の魅力は計り知れないものがある。ノイズや混信と戦いながら0.5Wとホイップだけで海を越えて飛ばす醍醐味はCBならではのものだろう。
また今回はアマチュア無線としてはFT-817NDを持っていった。
7MHz/10MHz/14MHz中心の運用となったが、そのほとんどが2.5Wでの運用である。
10MHzではW7まで飛ばす事が出来たが、ロケーションさえよければQRPでも十分にIOTA DX Pediが楽しめる。
前回の1996年の運用ではピコ14での運用が中心だったが、今回は817となり格段に運用がグレードアップしている。
しかし、ある意味不自由なピコでの運用もそれはまた楽しかった記憶がある。
離島からのQRP運用、機会があればまたぜひ挑戦してみたい。

Posted by JR0GFM