第2回対馬移動記(1996年5月)

1988年6月に対馬へ渡り、「2mハンディ機だけでHLとQSOしたい!」という夢を叶えることができた。

その感激が忘れられず「いつかまた対馬へ行くぞ!そして今度は本格的に移動運用だ!」と心に決め、8年後の1996年5月の連休に「第2回対馬単独移動」を決行した。
そして今回は対馬だけでなく、少しだけではあるが途中の壱岐からも運用する事にした。対馬での運用は、前回2mハンディ機だけでHLとのQSOを果たした上見坂(かみさか)公園(標高312m)で行う予定である。ここなら標高もあるのでワイヤー系のアンテナでもそこそこの飛びが期待できる。

■プラン

まずは交通手段である。
1988年の移動ではJRの周遊券を使って九州まで行った。
しかし今回は直江津〜博多間を結ぶ「九越フェリー」で博多まで行く事にした。
なお、この九越フェリーは1996年4月より就航を開始したが、その後合併等の紆余曲折を経て(新)東日本フェリーとなったものの、2006年12月には惜しまれつつも直江津〜博多間を運休。安く九州まで行けるのと、船旅の楽しさを味わえるフェリーであり、いつかまた乗りたいと思っていただけに残念である。
移動日は長期の休暇を取れる春の大型連休を選び、壱岐、対馬それぞれの運用については、フェリーの運航日に合わせたスケジュールを組んでみた。
5月3日 直江津を出発。
5月4日 博多着。
5月5日 壱岐より運用。
5月5日〜7日 対馬より運用。
5月7日 博多を出発。
5月8日 直江津着。帰宅。
こんなスケジュールとなった。
壱岐ではフェリーの関係で約2時間の運用と短いが、対馬では二泊三日の運用となる予定だ。
■テーマ
1988年の対馬移動以来、離島からの運用が大変気に入った筆者だったが、その後露組ねっとによる佐渡、そしてたった一人で大変だった粟島移動と、新潟県内の離島からの運用を行った。そして今回ははるばる壱岐と対馬である。どうせならIOTA DX Peditionとして壮大な運用を行いたいところだが、そのためにはそれなりの設備を担いで行かなければならない。しかし、なにせ一人である。

大きなアンテナと、できれば50W出力の無線機、そして発電機などを持ち込まなくてはならないが、一人ではとても無理である。

だったら逆に、ワイヤーアンテナとQRP無線機、少バンドでコンディションを見ながらの運用というスタイルでどこまで出来るかに挑戦する事にした。

この設備だから当然電波の飛びも限られてくる。

まさに相手の受信能力次第である。

■設備

まずは運用周波数の選定。10/14MHzはまだまだコンディションが良いので最低限この周波数は外せない。そしてEsシーズンに入るので29MHzFM、6mも加えたい。そして忘れちゃいけないのが144MHz/430MHzのハンディ。これでまたHLとQSOすることを目標にする。

無線機の選定は手持ちのQRP機から、10MHzはOHR(Oak Hills Research)の「QRP Explorer II」で出力は3W。14MHzはミズホ MX-14S(ピコ14)で出力は2W、10mFMはAZDENのAZ-11、6mはやはりピコ6、そして2m/430のハンディC550という設備となった。

しかし、無線機だけでかなりの量となる。

ザックに入れて担いでみたものの、これだけでもかなり重い。これにバッテリーやら食料やらを入れるのを考えるとゾッとした。

検討の結果、泣く泣くピコ6は置いて行く事にした、これだけでも少しは違う。

そしてアンテナは10MHzは1.5波長のオフセット給電型DP、14MHzは1/2波長DP、29MHzは2エレHB9CV、そして今回は2m用に5エレ八木を持って行く事にした。

しかし、これだけでもかなりの荷物になり、これにケーブルを加えるともうスゴイ事になる。しかしアンテナだけはこれより減らしたくは無いので、こうなれば意地でも担いで行かなくてはならない。

他に12V12Ahのシールドバッテリー、エレキーとパドル、マイク、BNC-M型変換コネクター、SWR計等々・・・はたしてこれらの大荷物を持って行く事など出来るのだろうか・・・。

■出発の日

5月3日、いよいよ出発だ。

荷物をザックに詰め込んでみたものの、もうありえないほどの重さとなった。

無線機、バッテリー他SWR計等の各種機材、食料、衣類、シュラフ、テント、マット、水・・・。そしてアンテナは八木、ポール等は釣り竿のケースに入れ、ワイヤー、ケーブルは手提げ袋に詰め込む。

総重量ははたしてどれくらいあるのかわからないが、20kg前後か、それ以上はあったのかもしれない。

フェリーは22:00出航のため、一時間前に乗船手続きを行い、21:30分に乗り込む。

部屋は2等船室で、毛布と枕が用意してあり、12人が雑魚寝という形だ。

九越フェリー船内にて
すぐにハンディー機を持って部屋から出てデッキへ上がり、2mのバンド内を聞いてみると、JA0IAA/0佐渡移動を発見。ローパワー350mWで呼んでも余裕のRS59のレポートだった。ハンディー機とホイップだけでこれだけ安定した交信が出来るのはやはり海上伝搬というものが影響しているのであろう。

九越フェリー
「これから出航ですか?」などとしばらくQSO。

海に映る満月がとても綺麗だった。

寒くなってきたので部屋に戻ると、同室の4人グループのうちの女性が突然声をかけてきた。

「あの〜、すいませ〜ん、あの長いの何ですか?」とアンテナの入った釣り竿ケースを指差している。

「アンテナなんですけど・・・」と言いながら、(ひょっとして長いから邪魔で迷惑かけてしまったか?)と思い「すいません、邪魔でしたか?」と慌てて移動させようとしたところ、「いえいえ、そうじゃないんですけど、アンテナって、何の?」

「無線のアンテナなんです」と答えると、「無線ですか?・・・・あぁ、もしよかったら一緒に飲みませんか?」と言われ、誘われるままに仲間に入れさせて頂いた。

女性3人と男性1人の新潟市から来たグループで、大分へ転勤になった友達にみんなで会いに行き、九州の山に登るのが目的との事。どうやら登山のサークルの仲間同士らしい。

彼女らにとっては、長い得体の知れない物を肩に掛け、大きなザックをフラフラといまにも倒れそうになりながら背負っている筆者がとても気になっていたらしく、特にあの長いものは一体何なのか?釣り竿か?スキーか?とみんなでもめていたらしい。

飲みながら今回の私の計画を話し、普通なら「対馬へ無線?わざわざ?」などと理解してもらえないと思われるが、同じ山好きという事もあってか、とても興味深く話しを聞いてもらえた。

また、帰りも同じフェリーであるという事で、ぜひその時は報告会と称してまた飲みましょうと約束し、深夜1時前にお開きとなった。

5月4日、朝7:30分。あまりよく寝た気がしないまま朝を迎える。

現在地を調べてみると、どうやら135度線を過ぎてしばらくの場所のようだ。
九越フェリー船内
デッキへ出て、持って行ったFMラジオを聞いてみると、77.4MHzでFM山陰が聞こえてきた。しばらくその放送を楽しむ。

9:00、「イルカが見える」と船内アナウンスがあり、慌ててデッキに出てイルカを探すと、数等くらいのグループでジャンプをしながらフェリーと競うかのように泳いでいるのが見えた。ちょうどその時、はるか向こうの方に隠岐島が小さく見えていた。隠岐もいつかは行ってみたい場所である。

九越フェリー
13:00 運転室見学のアナウンスがあり、船長に案内されながら運転室に入る。

なんと言ってもいちばん興味があるのはやはり「無船室」である。

九越フェリー無線室
中から韓国の海岸局がCQを打つCWが聞こえ、担当の方にお聞きすると、現在500KHzを受信中だが、受信しているだけであって、この船は新しい船のためほとんど衛生に頼っているとの事。

その他いろいろ聞いているうちに「かなりお詳しいですね」と言われ、特に海岸/船舶局の通信を受信するのが趣味だということを話すと、なぜか「ありがとうございます」とお礼を言われてしまった。

九越フェリー無線室

九越フェリー国際VHF 九越フェリー無線室

17:45分、夕食をとりにレストランへ向かう。これから2,3日、まともなものが食べられなくなるので、「豚カツ定食」で力をつける。

外を見ると九州の島々が見え始めた。いよいよ6エリア入りとなる!

18:30 まもなく博多港である。しかし、今にも雨が降り出しそうな天気で心配だ。

九越フェリーから、もうすぐ博多
当時の安いカメラで撮った写真なので周りが暗く、今で言えばトイカメラで撮った写真のようになってしまった。

19:00、博多港へ入港。例のグループはクルマなので先に出て行き、「お互い生きて帰れる事を祈って!」と声を掛けて再会を誓う。

ロビーで重い荷物を背負い待機していると隣の人が「スキーですか?」と聞いてきた。やはりこの格好は誰が見てもそうとう興味あるらしい。

■九州上陸、そして壱岐へ

博多に到着し、そこからタクシーで壱岐/対馬行きフェリーの就航している博多埠頭へ向かう。

20:00 博多埠頭のターミナルに着き、壱岐の郷ノ浦行きの切符を買う。

20:30 少々遅れて乗船。いよいよ壱岐である。デッキに出てみるが、雨がパラついている。ちょうど博多どんたくの日で花火が見えた。

博多どんたくの花火
白く光っているものはフラッシュが雨に反射したもの。

22:55 約2時間半ほどで壱岐郷ノ浦に到着。時間はもう夜中、当然宿など予約していないのでその場で野宿である。しかしかなり寒い!おまけに風まで吹いている。博多港を出航する頃は雨がパラついていたのがここでは降っておらず、まだそれだけでも救われた。

ターミナルの裏側はそれほど強く風が当たらないので、そこにマットとシュラフを敷いて寝る事にする。

夜中にあんまり寒くて目が覚め、パーカーのフードをかぶり、小さく丸くなって寝るとその分シュラフの下半分が空き、その分を上に掛けて寝ると少しは寒さから逃れる事が出来るが、それでもやはり寒い!果たしてこの先大丈夫なのだろうか?

5月5日、朝5:30。「ここで誰か寝とるわ」というおばさんの声で目が覚める。

シュラフを片づけた後、辺りを散策。6:00になるとターミナルが開いたので中で観光マップを見つけ、近くてロケーションの良さそうな運用場所を探すと「春一番の塔」というところが目に留まった。そこへは歩いて10分くらいでロケーションもまあまあである。

7:00 パンとカロリーメイトという朝ご飯を摂る。この組み合わせは対馬最終日まで続く。

そして春一番の塔を目指して歩き始めるが、たった10分歩くのでさえもこの大荷物を担いでではかなりキツイ。途中地元のおじさんに「どこへいくんですか?」と聞かれる。確かに釣り竿(のケース)を肩にかけて丘の方に向かって歩く人物はどう見ても不審者だ。

春一番の塔への道のりを教えてもらい、それから5分くらいで到着。

7:30 早速ポールを立てて29MHzHB9CVを組み立て、そして10MHzのDPを張る。

壱岐 壱岐

8:16 早速10MHzでCQを出すと、JA3AA Shima OMからコール。壱岐での1st QSOとなった。

10:35 そろそろ終わりにする。約2時間半の短い運用であったが、のんびりやっていたため23局という局数に終わった。結局29MHzはアンテナを上げたものの出れず仕舞い。しかし、後でとんでもない忘れ物に気付き、愕然とするのであった。

■いよいよ対馬

12:00 対馬厳原行きのフェリーに乗船。ここで壱岐に別れを告げる。

対馬が見えてきた
お昼で空腹だった事もあり、船内で弁当を買って食べるが、多少波が高かった事もあって後に船酔いに悩まされる事となった。

デッキに出るとうっすらと対馬が見えてきた。8年前と変わっていない島影になんとも言えない懐かしさが込み上げてきた。しかしだんだんと船酔いが激しくなってくる。かなり辛い・・・。

14:30 船酔いと戦いながらようやく無事に厳原に到着。8年前とだいぶ変わっており、ターミナルが新しくなっていた。

バスターミナルを探そうとするが、周辺も変わってしまっていたため動く事が出来ない。いや、あまりにも荷物が重過ぎてやみくもに動きたくないというのが本音である。

バス時間までまだだいぶあるので、2mで現地の人にターミナルへの道でも訊いてみようとCQを出すと、厳原のJF6OID庄司さんからコール。

対馬へ移動運用に来て、これから上見坂公園へ行くため、それまでバス時間があるのでCQを出してみたと話すと、なんとそこまで乗せて行って頂けるとの事。前回もそうだったが、対馬の人はなんて親切な人ばかりなのだろう。お言葉に甘えて乗せていって頂く事にした。

車中いろいろお話しを伺うと、HFの方によく出てらっしゃるようで、なんと筆者の仲間の仲間で、一度だけQSOしたことのある柏崎市の方もよく知ってらっしゃるようだ。しかし、こんな遠く離れた島まで来て知ってるコールサインが出てくるとは、無線の世界とは狭いものである。

■小さなIOTA DX Pedition

15:00すぎ、いよいよ上見坂公園に到着。庄司さんには深くお礼を言って別れた。

懐かしい場所である。早速展望台に上って浅茅湾を眺める。

対馬上見坂公園
さて、それから約2時間かけていろいろ悩みながらアンテナ設置に取りかかる。2泊3日なので中途半端な設置は出来ない。

途中、ツーリングのライダーの人達が「ここでキャンプされるんですか?」と声を掛けてきた。無線をやる事を説明すると、「これから買い出しに行って来るのでなにか必要なものがあれば買ってきてくれる」と言われ、本当は衣類が欲しいところではあるがそれは無理なので、お礼を言って特に必要ない事を伝えた。

ハンディ機で2mのメインを聞いているとHLばかりである。地元対馬の局も聞こえているが、それらをはるかに上回るほどで、本当にここはJAなのか?と疑いたくなるほどである。

17:55 ようやくアンテナ設置が完了し、早速ミズホMX-14Sにて14.260MHz IOTA周波数でCQを出してみる。するといきなり地元のJR0FEKが呼んできた。どうやらこの周波数をワッチしながら待機してくれていたようだ。TNX!

対馬上見坂公園 対馬ペディ、テント内

無事に対馬へ着いた事を話し、しばし二人でギャグを交わし、「なんで’こんな所まで来てこんなバカな事を言わなきゃならないんだ?しかも14MHzで!?」などと言いながらファイナルを送る。なんとこれからクラスターに入れるとの事。

クラスターに載ったせいか、続けざまに知っている局に呼ばれる。そんなパイルの中、先ほどお世話になったJF6OID庄司さんにも呼んで頂いた。なにかあれば2mか430のレピーターを聞いているので呼んでくださいとの事。もうホントに涙が出るくらい有り難かった。

その後すぐにJR0BAQが呼んできた。FEKと同じく無事に着いた事を話し、また露組ねっと各局に無事に着いた事を伝えて欲しいとお願いする。

その後JF0VCY、JR0JMSと露組ねっと各局に続けざまに呼ばれ、なんだかはるばる対馬まで来ている気がしなかった。しかもピコ14のたった2Wである。こんな小さな無線機で、新潟の各局といつもと変わらぬQSOが出来るとは、ホントに感激である。やはりローカル局に呼ばれるのがいちばん嬉しい。

そんな中、先ほどのライダーが私のテントに来て差し入れを持ってきてくれた。

・・・・・よく冷えたビールである。

今日の夜の寒さを想像して少々ブルブルッと来たが、有り難く頂戴する事にした。

■幻の10mFM運用

19:00過ぎ、ある程度14MHzでのパイルが途切れてきたので29MHzFMにでも出てみようとAZ-11を取り出し、そのままワッチしてみるとEスポが出ているようでどの周波数も空いていなく、バンド内ギッシリと埋まっている。

付属バッテリーがもったいないのでDCコードを繋ごうと取り出すと・・・・・合わない!・・・AZ-11のジャックと持ってきたDCプラグが合わないのだ!

完璧に失敗・・・。

てっきり合うものだろうと思い込んでいたのが間違いで、少なくとも出発前にチェックしておくべきだった。

仕方なく付属バッテリーで、パワーを0.5WにしてCQを出し、4局QSOしたところですぐにバッテリーがなくなってしまった。元々DCコードを繋いでやるつもりだったので、ロクに充電もしていなかったのである。

しかし、それで諦めるわけにはいかない。

DCコードが合わないならば、直結だ。

持ってきた予備のIV線を適当な長さに切り、持って行った12Vのシールドバッテリーと本体のバッテリーに接触する端子に直結した。

これでなんとか使えるようになり、もう1局QSOしてファイナルを送った後、「バチッ!」と嫌な音とともに端子の部分が焼け、煙が出てきたのだ。

それから一切電源が入らなくなってしまった・・・・・。

(後にこのAZ-11は修理して使えるようになった)

これでもうAZ-11、HB9とも「無用の長物」と化してしまった。

一番の稼ぎ手となるはずだった29MHzFMが使えなくなると言うのは、これはもう大きな痛手である。

■DXに呼ばれる

20:15 気を取り直して10MHzにQRVすると、何局かのJA局とのQSO後、HH2HM/Fなるコールサインが呼んできた。「HLの変形コールか?」と一瞬思ったが、HLにしては弱い、いやそれどころかHH2はハイチのはずである。しかも/Fが付いていると言う事はフランスか!?いづれにしてもDXには変わりはない。

RST579を送り、こちらへは559のレポートを頂いた。

その後、JR0JMSをはじめとして何局かとQSOを続けていると、非常に弱い信号が呼んできているのに気付いた。

「JA6GF?・・・」イマイチ聞き取れない。「QRZ?」を打つと、なんと「・・・W6GFE・・・・・」と打ってきた。

W6GFE Larryである。Larryは筆者がIOTAのMLで今回の移動の告知をしたところ、「IOTA AS-036 TSUSHIMAとぜひQSOしたいから、30mのDPを張って聞いているよ」とメールをくれた人である。

お互いRST339のレポートを送り合い、QSOできたことを大いに喜んだ。

先ほどのHH2もそうだが、よくこの3Wの電波を見つけてくれたものである。特にLarryはDPらしいが、ほんとによく見つけてくれて感謝感激だ。彼らの受信能力の素晴らしさに拍手を送りたい。

運用地である上見坂公園は標高が高く、また周囲が海と言う好条件であるが、QRPにこだわった運用で、思いがけずDXに呼ばれるとは、まさにこれこそQRPの醍醐味であると感じた。これが10Wや50Wのリグで、ある程度まともなアンテナであればこんな感激は無かっただろう。

HH2HM W6GFE

■2mにてHL向けCQ

22:30 2mにてHL向けにCQを出してみる。

即席で覚えたラバースタンプQSO用ハングルで何度かCQを出してみるが、全く相手にされない。

なぜ?

8年前はハンディ機1.5Wとロッドアンテナだけで次々と呼ばれたはずなのに。

今回は5エレをHL方面に向け、聞こえてくる信号はハングルばっかりなので、必ず向こうには聞こえているはずなのだが。韓国局にとって対馬は珍しくなくなってしまったのだろうか?

今度は日本語で地元向けにCQを出してみると、対馬にバードウォッチングに来ていると言う方から呼ばれた。

しばらくQSOしたあと、今日はこれにて終了。

シュラフに潜り込む。

5月6日 朝4:20 あんまり寒くて目が覚める。

シュラフの中で丸くなって寝てたので身体に激痛が走る。

7:00 あまり眠れないまま朝を迎える。

パンとカロリーメイトといういつもの朝食をとり、顔を洗っていると昨日のライダー達も帰り支度を始めている。その中の一人に昨夜のビールのお礼を言い、写真を撮ってもらい、「ぜひ妙高の方へ遊びに来てください」と名刺を渡した。

旅先での小さな出会いを大切にしたいものである。

日中10MHz/14MHzと言ったり来たりしながら交信局数を増やす。

しかし、やたらと7MHzへのQSYのリクエストが多いのだが、そんなに7MHzでの対馬は珍しいのだろうか?地元の局が結構出ているはずだと思うのだが。

13:30 懲りずに2mでHL向けにまたCQを出してみると、ようやくHLのクラブ局が呼んできた。

暗記したラバースタンプハングルで名前、レポート、移動地などを送ってマイクを返すと、向こうもハングルで返してきた!

わけがわからん!!!

適当な事を言ってファイナルを送ると、地元対馬のJN6NWO松村さんに呼んでいただいた。松村さんのお話しによれば、竹島の問題で騒がれてからというもの、特に釜山の局はJA局を嫌っているらしく、全く相手にしてくれないとの事。それどころか地元の対馬局同士でQSOしているところを妨害したり、レピーターにまで妨害をかけてくるようになってしまったらしい。特に釜山の局に多いようで、他の地域の局はそれほど問題ないとの事だった。

8年の間に大きく変わってしまったものである。

日中10/14MHzでずっとやっていると、さすがに夜になると疲れてくるので、2mあたりでのんびりとQSOしたくなる。

なので夜は2mでCQを出してみる事にした。

HLよりも地元局とのQSOをと思い、なにげにCQを出すといきなり4エリア山口県萩市から呼ばれる。そのまま2mでCQを出し、山口県、島根県など10局ほどの4エリア局とできた。

その後、地元対馬の局とのQSOを楽しむ。

JN6NVGあびるさんが、「せっかく新潟から来たのだから、もしよかったら明日対馬を案内したい」と言われ、とても嬉しくまたぜひお言葉に甘えさせて頂きたいところだったが、残念ながら時間もあまりないため丁重にお断りした。

「この次に来る時はぜひ!」ということで電話番号まで教えて頂いた。

地元の方の暖かさに嬉しくなった。 対馬の人はなんて親切な人が多いのだろう。

5月7日 朝5:00 昨日ほど寒くは無いが、テントに雨がポツポツあたる音で目が覚める。

「おいおい、まさか今日は雨の中で撤収か?」と思い憂うつになる。

天気予報が気になり、ラジオでNHKを聴くと「壱岐、対馬地方は曇り時々雨」とのことで、とりあえず安心。しかし、撤収の時間と雨とが重ならない事を祈りたい。

7:00 一昨日から続いているパンとカロリーメイトの食事をとる。もう甘いものは勘弁してくれと言う感じで、口を開けるのが精いっぱいである。

8:00すぎ、10MHzで CQを出してみるものの、さすがに今日からは連休も終わり平日となるのでなかなか呼ばれない。それでもなんとか3局ほどQSO。

確か福岡方面だったと思うが、430のレピーターを聞いてみると、福岡の局が「市内は土砂降り」との情報。

雨が止んでいる今のうちにと少しづつ撤収を始め、結局アンテナ類は全て片づけ、最後にこのテントだけを残した。

11:00 ポツポツ雨が当たってきた。FM放送を聞くと韓国の局ばかり聞こえてきた。夏のEスポシーズンを思い出し、しばらくテントの中でのんびり過ごす。

■エピローグ

15:25 上見坂公園からバスに乗り、フェリーターミナルへ向い、無事にフェリーへの乗船となった。

デッキへ出て、お世話になった地元各局を2mや430のレピーターで呼んでみると、昨晩2mでQSOしたJN6NVGあびるさんが呼んできてくれた。

お世話になったお礼と対馬各局へぜひよろしくお伝えくださいとお願いし、必ずまた対馬に来る事を約束してファイナルを送る。

厳原港を離れ、3日間お世話になった対馬に別れを告げる。

さよなら対馬 さよなら対馬

船内でキツネうどんを食べた。

久々に塩気のあるものを口にし、それはもうとても美味しかった。

21:45 博多港にて直江津行きフェリーの乗船を待っていると、あの4人の登山グループが待合室にやって来て、お互いの無事を喜びあった。

フェリーに乗船し、早速報告会の準備としてビールやらツマミやらを用意した。

「どうぞ!」と言ってビールを差し出されたが、「いや、持ってるんで大丈夫です」と言ってザックから取り出したビールは、上見坂公園でライダーからいただいた「よく冷えていた→ちょっと温くなった」ビールだった。

今回の移動ではたくさんの事を学び、そしてたくさんの人と知り合い、島の人達の暖かさを心から感じた。

たった一人での壱岐/対馬移動。

一生忘れられない想い出となるであろう。

■交信局数。

・壱岐

10MHz CW 23局

・対馬

10MHz CW 68局(うち、DX2局)

14MHz SSB 30局

14MHz CW 2局

29MHz FM 5局

145MHz FM 18局(うち、HL1局)

———-

これは1996年に、「月刊露組ねっと(不定期刊)」として発行していた小冊子の筆者の手記を、2009年4月16日に一部加筆修正したものです。

Posted by JR0GFM