第1回対馬移動記(1988年6月)
■2mハンディ機だけでHLとQSOがしたい!
長崎県対馬。福岡から北へ約100kmに位置し、その島の北端から韓国までは約50kmというまさに「国境の島」がある。
中学生の頃だったか、社会科の地図帳を広げると、日本の領土であるにも関わらず、九州よりも韓国の方に近い島が存在する事に強く興味を魅かれた。
「いつしか対馬から2mハンディ機とホイップだけで韓国HLとQSOしたい。」そんな夢を開局当時から持っており、それが叶ったのは1988年6月のことだった。
さて、当時メモをめくりながら思い出す事にしよう。
当時会社員だった筆者は事情により突然1週間休みが貰える事になり、予定も決まらないまま休みに入ってしまった。
ところが休みの最初の日の朝、急に九州旅行を思い立った。
どうせなら昔から行ってみたかった対馬にも行ってみよう!
しかし急に思い立った旅行だから計画などロクに立てていない。
とりあえず行き当たりばったりで行ってみよう。どうせ休みは1週間なんだし。
ただし今回はあくまでも旅行がメインであるため、無線についてはあまり大掛かりなものを持っていかない事にし、2mFMハンディ機「IC-2N」と約1m長の伸縮ホイップ、それと6mオールモード機FT-690mkIIの二台だけだ。
6月9日 直江津駅にて「九州北ワイド周遊券」を買う。¥26,700
22:26発上り長野行き普通列車で長野に向かう。九州までの長い道のりの第一歩である。
翌朝に大阪に着き、そこから普通列車を乗り継いだが岡山で打ち止め、夜行の発車まで夕方からしばらく待たなければならない状況になった。
岡山市内で時間を潰し、そしてその夜、夜行列車に乗り込んだ。
翌朝目を覚ますとようやくそこは九州。家を出てから二日目の早朝だった。
あの頃はまだ夜行列車も充実していたため、がんばればなんとか普通列車と急行だけでも九州へ行けたものだ。
6月11日 6:05 博多に到着。
博多埠頭から9:50発の対馬行きフェリーに乗り込み、約5時間船に揺られ、ようやく目的地である対馬厳原町に降り立った。
さて、無事に着いたのはいいが、果たしてどこへ行けばHLとQSO出来るのかわからない。
地図を見る限り、やはり島の北端である美津島町までいけば良さそうだが、島のタクシーに美津島町までいくらかかるかと訊くと2,000円位と言われ、貧乏旅行のためタクシーは諦め、バスで行く事にした。
美津島町行きのバスの時間まで2mで地元の方とQSOしようとCQを出したところ、すぐにJH6KRJ長瀬さんに呼んで頂いた。
2mでHLと繋げたいことと、美津島町の国民宿舎に泊まる予定なのでそこから繋がるかについて訊いてみたところ、あまり望みは無いとの事。だた、国民宿舎まで行くのならクルマで乗せてってくれるとの事。対馬の人はなんと優しいのだろう。
そのままお言葉に甘えさせて頂く事にした。
数分後、長瀬さんとアイボール。
「2mでHLと繋げたいのであれば、厳原町内で上見坂(かみさか)展望台という山の上なら楽にできる」とのこと。
美津島まで行かなくても上見坂展望台ならクルマで15分くらいで行けるし、ここなら間違いなくHLと繋がると言う事で急遽予定を変更。
早速そこまで連れて行って頂いた。
上見坂公園に到着し、長瀬さんが車内から2mでCQ HLを出すとHL9TMが呼んできた。メーターはフルスケール59++、もちろん10W機とモービルホイップのみである。これには非常に驚いた!
自分もカバンからIC-2Nを取り出し、展望台へ上り早速CQ HLを出すとHL9CBが呼んできた!
1.5Wのハンディと1mにも満たない伸縮ホイップのみでHLとRS59+フルスケールで繋がることに大いに感激した!
ついに中学時代からの夢が叶ったのだ!
「やったぜ!」
その後、先ほど長瀬さんとQSOしていたHL9TM、HL5BMGなどとQSOできた。
しばらくすると下から2mらしきアンテナを載せた4WDが登ってきた。ドアにはJH6AHTと書かれており、長瀬さんのローカル局のようだ。
どうやら今日はこの場所で移動運用をするらしく、テントも用意し始めた。筆者にも「よかったらここで泊まって一緒に運用しないか?」と言われたが、長旅の疲れと、できれば今夜は3日ぶりに布団で寝たいという旨を伝え、残念ながら遠慮させて頂いた。
その後、長瀬さんと一緒に山を下り、今夜の宿となるユースホステル西山寺まで送って頂く。
突然の宿泊依頼にも関わらず、快く承諾して頂けたのは大変ありがたかった。
夕方、FT-690mkIIを持って近くへ出掛けてみる。
電源を入れるとEsが発生しており、各エリアからの信号が聞こえた。
付属のホイップでCQを出してみたが、全く応答はなし。
さすがに付属のホイップからでは厳しいようだ。
結局今回の旅での6mでのQSO結果はゼロだった。
その後、街へ夕食をとりに出て、しばし厳原の町を散策した。
宿に戻り風呂に入り、寝る前に2mでCQを出しJH6JTUらいとくさんとQSO。
そしてすぐに寝た。
6月12日 朝ご飯を食べ、着替えて受付を済ませてフェリー乗り場に向かう。
8:30発、フェリーはかたに乗り込み、九州博多へ向かう。
その後、長崎で一泊し、13日朝には新潟へ帰るべくまた「列車乗り継ぎの度」が始まった。
帰りは広島から新大阪まで新幹線を使ったため、来る時に比べればかなり早い。
大阪から長野行き夜行急行列車で一気に長野に向い、14日早朝に無事帰宅。
今回の旅では、「2mハンディ機のみでHLとQSOする」という夢を果たす事が出来た。またJH6KRJ長瀬さんをはじめとした、地元厳原町の方々のあたたかさを直に感ずる事ができ、とても想い出深い旅だった。
またいつか対馬へ行き、今度はIOTAペディションとして移動し、またあの時お世話になった皆さんにお礼を言いたいと言うのが次の夢である。
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これは1995年に、「月刊露組ねっと(不定期刊)」として発行していた小冊子の筆者の手記を、2009年4月15日に一部加筆修正したものです。
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